おはこんばんにちは!力学観測研究所のニュートン子です!
執筆者は普段RYOですが、まれに私が記事欄を乗っ取ります!
私もお酒は好きではありません。そしてRYOは、お酒そのものに興味がなさすぎます。このまま任せると「飲まなければいい」で終わりそうなので、今回は私が職場の飲み会を観測します!
さて、最近の若者を飲みに誘うと「残業代は出るんですか?」と言われるらしい。昔から繰り返されている話です。本当にそんな若者がどれほどいるのかは分かりませんが、この問い自体はかなり正しいと思います。
参加すれば上司や同僚との関係が良くなる/仕事に必要な情報が入る/顔と名前を覚えてもらえる/人事評価にも影響する。そこまで仕事上の効果を期待しておきながら、会社は飲み会を「仕事ではない」と扱う。
それは少し都合が良すぎませんか❓
純粋な私的交流なら、誰でも理由を告げずに欠席できるはず。欠席しても情報/人間関係/仕事の機会で不利にならない。それが本当の自由参加ですよね?
ところが実際には「来ないの?」「付き合いが悪い」「たまには顔を出せ」と圧力がかかる。自由参加という建前のまま、事実上の参加義務だけが残ります。
「酒を飲めるのが大人」という前提
「酒を飲めること」は長い間、大人の象徴として扱われてきました。
飲める=強い/社交的/腹を割って話せる
飲めない=弱い/付き合いが悪い/面白くない
この暗黙の前提は、まずParadigm Phantomとして社会に漂っていた。
多くの人は若い頃、大人への背伸びとして酒を覚える。やがて飲酒が習慣になり「料理との相性」「大人の嗜み」「仕事上の付き合い」といった理由が後から与えられます。
料理との相性という説明は、発酵によって生まれる香りや味の説明にはなっても、酔う成分まで摂取する必然性の説明にはなっていません。
そして親睦が目的なら、酒である必要はもっとない。食事/お茶/昼休み/勤務時間内の面談でも成立します。
それでも酒が選ばれてきたのは、酔いによって警戒心や抑制が弱くなるからでしょう。職場は、人間同士がシラフで構築できない関係をエタノールに代行させてきたとも考えられます。
「酒を飲めば本音が出る」って本当?
酒席では「無礼講」「今日は腹を割って話そう」という言葉が飛びます。
しかし、上司と部下の関係は酒を飲んでも消えません。翌朝になれば元通りです。酒席で口にした不満や批判だけは上司の記憶に残り、発言した側には「酔っていた」という言い訳しか残らない。
そもそも酔って出た言葉が本音とは限りません。感情の増幅/判断力の低下/その場の空気への迎合も混ざる。酒は自白剤ではないのです!
本当に部下の話を聞きたい上司なら、勤務時間内に落ち着いて面談すればいい。酒の力を借りなければ本音を聞けない時点で、普段の職場に安心して話せる環境がないということです。
「飲めば本音が出る」は、組織内の対話不足を酒で覆い隠すための便利なPhantomだったのではないでしょうか。
飲み会は勤務時間外の裏人事制度
職場の飲み会では、公式の会議に出ていない情報が動きます。
上司の考え/次の人事/新しい案件/同僚への評価/部署内の力関係。参加者は自然に情報を得て、参加しない人は知らないうちに情報網から外れてしまう。
さらに、酒席での振る舞いまで観察されます。
気が利く/場を盛り上げる/上司の話を聞く/酒を勧める/最後まで付き合う。これらは本来の職務能力ではないはずです。それでも「付き合いやすい人」「一緒に仕事をしたい人」という曖昧な評価へ変換され、人事や仕事の配分に入り込む。
ここで飲みニケーションはParadigm PhantomからParadigm Ghostへ変わります。
「酒を飲める人は社会人として立派」という価値観が、社内情報/人脈/評価/昇進という制度へ固定されるからです。
表向きは親睦会。実態は非公式面談/情報交換会/人物評価会。それなのに時間外労働とは扱われず、費用まで社員が負担することがある。
会社にとって、これほど安上がりな裏人事制度はありません。

効用があるからこそ厄介
もちろん、飲み会が楽しい人もいます。普段話さない人と親しくなる/仕事の不満を吐き出す/部署の空気が良くなる。そうした効用まで否定する必要はありません。
だけど、効用があることと参加を求めてよいことは別です。
親睦の裏には同調圧力
本音の裏には失言の収集
一体感の裏には不参加者の排除
ストレス解消の裏には飲酒習慣と依存
飲みニケーションには常にShadowがあります。
参加者が自分の意思で楽しむ限り、それはただの飲み会です。しかし、上司からの誘いを断りにくい/欠席すると不利益がある/飲酒や私生活の提供を求められる。その段階で「ただの親睦会」という説明は通用しません。
判断基準は簡単です。
理由を説明せず断っても、その後の仕事に何の影響もないか?
これに即答で「はい」と言えないなら、その飲み会は既に仕事の領域へ足を踏み入れています。
酒を飲まなくても話せる会社へ
酒を飲むこと自体は個人の自由です。気の合う人同士が勤務後に飲みに行くことまで、会社が管理する必要はありません。
問題は、会社が酒を社内通信の標準規格にしてしまうことです。
重要な情報は勤務時間内に共有する/部下の話はシラフで聞く/人事評価は職務上の行動と成果で行う/親睦会への参加を評価へ持ち込まない。必要なのはこの程度のことです。
酒席に参加しなければ築けない信頼とは何なのか。酔わなければ話せない本音とは何なのか。勤務時間外でなければ成立しない組織運営とは何なのか。
飲みニケーションは単なる古い習慣ではありません。
「酒を飲めるのが大人」というParadigm Phantomが、勤務時間外の人事/情報/評価として固定されたParadigm Ghostなのです。
酒を飲む自由を守るなら、酒を飲まない自由も同じ強さで守られなければなりません。
以上、記事欄を乗っ取ったニュートン子でした!



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