36協定の指導見直しで問われる「残業時間の中身」
2026年8月19日、読売新聞は、厚生労働省が9月から労働基準監督署による時間外労働の企業指導を見直す方針だと報じた。
ここでまず注意したいのは、「残業の上限が一気に緩くなる」という話ではないことだ。36協定の原則的な限度時間は月45時間・年360時間。臨時的な特別の事情があり、労使が特別条項を結んだ場合でも、年720時間以内、時間外労働と休日労働の合計が単月100時間未満、2~6か月平均80時間以内などの上限は残る。
変わろうとしているのは、法定の枠内にある企業に対しても「原則45時間以内へ」と一律に寄せてきた労基署の指導運用である。政府の日本成長戦略や厚生労働省の労働政策審議会でも、重大・悪質な事案には厳正に対応しつつ、労働時間や健康確保措置について「労使の合意に則った指導」が行われるよう、運用を速やかに見直す方向が示されている。
おはこんばんにちは❗️力学観測研究所のRYOです❗️
今回は「もっと働きたい人を働かせるべきか」「長時間労働は悪か」という二択ではなく、もっと手前のところを観測してみます。
そもそも、世間でひとまとめに「残業」と呼んでいる時間は、本当に同じものなのだろうか❓
「45時間」「80時間」「100時間」は分かりやすい。だからこそ危うい
労働時間には数字がある。月45時間、80時間、100時間という数字は、企業にも行政にも労働者にも分かりやすい。
しかし、人間にかかる負荷は時間だけでは決まらない。
炎天下で重量物を扱う1時間/大型車を運転し続ける1時間/顧客から強いクレームを受け続ける1時間/高度な判断を連続して求められるデスクワークの1時間/比較的本人の裁量で作業の強弱を調整できる1時間。
時計の上では、すべて同じ60分である。
だからといって、肉体労働は大変でデスクワークは楽、という単純な話でもない。デスクワークには判断責任、納期、集中力、対人ストレスなど、身体負荷とは別の強い負荷が存在する。逆に肉体労働でも、手待ち時間の多い業務と、休みなく高強度作業を続ける業務では同じ勤務時間でも中身が違う。
厚生労働省の労災認定も、実は「時間だけ」を見ているわけではない。脳・心臓疾患では長時間労働に加え、拘束時間、連続勤務、勤務間インターバル、深夜勤務、身体的負荷などを総合的に評価する。精神障害でも、長時間労働だけでなく、パワーハラスメント、顧客等からの著しい迷惑行為、仕事量の大きな変化などが評価対象になる。
つまり制度を細かく見ると、国自身がすでに「1時間は全部同じではない」と考えている。
2025年度の労災認定は1,310件
厚生労働省が2026年7月に公表した令和7年度(2025年度)の「過労死等の労災補償状況」では、過労死等に関する労災保険給付の支給決定件数は1,310件だった。
このうち、業務災害に係る脳・心臓疾患は217件、精神障害は1,082件。このほか、複数の勤務先での負荷を合算して評価する「複数業務要因災害」の支給決定が脳・心臓疾患7件、精神障害4件あり、合計1,310件となる。精神障害の支給決定では、パワーハラスメントが222件、顧客や取引先などからの著しい迷惑行為が127件、セクシュアルハラスメントが127件などとなっている。
さらに時間外労働時間別に見ると、脳・心臓疾患では長時間労働との関係が強く現れる一方、精神障害では「20時間未満」の支給決定も57件ある。
ここから分かるのは、「残業時間が短ければ安全」「長ければ必ず危険」という単純な線引きではないということだ。長時間労働が健康リスクとして重要なのは当然だが、時間だけで労働の負荷を完全に説明することもできない。
そもそも「残業」とは何か
日常語としての残業と、労働基準法上の時間外労働は厳密には同じではない。
たとえば会社の所定労働時間が7時間30分なら、所定終業時刻を過ぎて30分働いても、1日8時間を超えるまでは法定時間外労働ではない場合がある。労働基準法上、原則として1日8時間・週40時間を超えて働かせた時間が法定時間外労働となり、通常の賃金の25%以上の割増賃金が必要になる。なお、月60時間を超える法定時間外労働は50%以上の割増となる。
一方、何が「労働時間」なのかという判断は、タイムカードに打刻されているかどうかだけでは決まらない。厚生労働省のガイドラインでは、使用者の指揮命令下に置かれている時間かどうかを、実態に即して客観的に判断するとしている。
ここまでは法律の話である。
しかし、企業経営の立場から見ると、もう一つ別の問いが出てくる。
「なぜ、その仕事は定時内に終わらなかったのか?」
定時内のタバコ休憩で押し出された仕事も「残業」なのか❓
たとえば9時から18時までが勤務時間の会社を考える。
ある社員が勤務時間中、午前に10分、昼食後に10分、午後に10分、合計30分ほど喫煙所へ行ったとする。ここでは、その30分を法律上の労働時間から控除できるかどうかの話はいったん横に置く。
18時になった。しかし、その日に終えるべき仕事が30分残っていたため、18時30分まで働いた。
勤怠表には「残業30分」と記録される。
では、この30分は本当に「8時間では処理できない仕事量だったために発生した残業」なのだろうか❓
なお、この30分が使用者の指揮命令下で実際に働いた時間なら、それは法的には労働時間である。日中にタバコを吸っていたからといって、後から残業代を消してよいという話ではない。ここで問いたいのは、残業代を払うべきかではなく「その残業はなぜ発生したのか」である。
もちろん、喫煙していなければ必ず定時で終わったと個々の労働者について断定することはできない。仕事には突発対応もあるし、集中力にも波がある。しかし企業が残業時間を経営指標として管理するのであれば、「何時間残ったか」だけでなく「なぜ残ったか」まで見なければ、本当の生産性は分からない。
仕事量そのものが多すぎた残業/人員配置が原因の残業/承認待ちで発生した残業/会議や社内手続きによる残業/勤務時間中の私的な離席によって仕事が後ろへ押し出された残業。
これらは勤怠システム上、同じ「残業1時間」に入ってしまう。

そして「残業時間中のタバコ休憩にも1.25倍」が発生する
ここで初めて、タバコ休憩そのものの扱いに戻る。
企業が喫煙離席を明確な休憩として扱い、その時間を労働時間から適切に除外しているのであれば、この話は当てはまらない。「うちは管理している」で終わる話である。
問題は、喫煙離席を特に控除せず、通常の労働時間としてそのまま扱っている企業だ。
その社員が法定時間外労働に入り、残業時間中にも10分タバコを吸いに行った。しかし勤怠上はその10分も残業時間のまま――。
勤怠上、その10分まで法定時間外労働として計上して給与計算しているなら、その10分にも通常賃金の1.25倍が乗る。
「残業時間中のタバコ休憩にも1.25倍の賃金❤」
文字にすると、なかなかのパワーワードである。
ただし、ここで言いたいのは「だから残業代を払うな」という話ではない。使用者の指揮命令下で実際に法定時間外労働をさせたのであれば、企業は当然、割増賃金を支払わなければならない。
問うべきなのは、その残業を発生させている構造である。
企業が喫煙離席を黙認するのも自由/休憩として制度化するのも自由/福利厚生の一つとして考えるのも自由。ただし、その時間を勤務時間として扱う一方で、「残業が多い」「人件費が高い」「生産性が低い」と嘆いているのであれば、一度数字の中身を見る必要がある。

残業時間を減らす前に「残業の中身」を観測する
今回の労基署の指導見直しは、見方を変えれば企業側に問いを返す政策でもある。
これまでのように「労基署が45時間以内と言うから、とにかく残業を減らせ」だけでは済まなくなる。労使が必要性を認識し、法の範囲内で残業を行うなら、その残業がなぜ必要なのか、健康確保措置は十分か、企業自身が説明できなければならない。
そして、残業の必要性を本気で考えるなら、勤務時間の「量」だけでなく「密度」と「原因」を見る必要がある。
肉体的負荷の高い仕事/精神的負荷の高い仕事/裁量の大きい仕事/手待ち時間の多い仕事/勤務時間中の私的離席によって後ろへ押し出された仕事。
全部を「残業○時間」という一つの箱に放り込み、数字だけ減らそうとするのは、いささか雑ではないだろうか。
長時間労働による健康被害を防ぐことと、企業が労働時間の中身を精査することは対立しない。むしろ両方必要である。
「残業を減らせ」の前に、「その残業はなぜ発生した?」
企業にとって本当に見えにくいコストは、残業代そのものではなく、残業という数字の中に埋もれているのかもしれない。
主な参考資料
・読売新聞「労基署、時間外労働巡る企業指導を見直しへ…一律『月45時間以内』やめ36協定締結促す」2026年8月19日
・厚生労働省「2026年7月14日 第210回労働政策審議会労働条件分科会 議事録」
・厚生労働省「令和7年度『過労死等の労災補償状況』」2026年7月15日
・厚生労働省「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」
・厚生労働省「労働条件・職場環境に関するルール」
・厚生労働省「時間外労働の上限規制」
・厚生労働省「脳・心臓疾患の労災認定」
※本稿は制度と企業の労務管理を一般論として整理したもので、個別の労働時間該当性や賃金計算は、実際の就業規則、勤務実態、指揮命令関係などによって判断が異なります。



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