おはこんばんにちは❗️力学観測研究所のRYOです❗️
最近、コンビニや物流倉庫で働く外国人を目にする機会が増えました。
外国人が増えたこと自体より、気になることがあります。筆者が目にするのは、中高年ではなく若者ばかりなのです。
彼らは何のために日本へ来たのか❓️ 日本で若い時間を過ごし、やがて自分の国へ帰るとき、いったい何を持って帰るのか❓️
この問いは、外国人を受け入れるべきか、受け入れるべきではないかという話ではありません。宗教や文化をどこまで認めるかという話でもありません。外国人の若者が日本へ差し出した時間と、日本が彼らへ返すものは釣り合っているのかという話です。
ヒジャブを認めれば「多様性」なのか❓️
ファミリーマートは2026年9月から制服をTシャツ型へ変更し、自由な髪色やヒジャブなどを正式に認める新しい身だしなみ基準を導入する。全国約20万人の店舗スタッフのうち13%が外国人で、人材確保につなげる考えだと報じられた。
これまで個別に認めていたものを明文化し、働きやすくする。それ自体は悪いことではない。しかし、ヒジャブを着けたまま働けることと、その人の将来が守られることは別の問題だ。
髪色も服装も自分らしくてよい。では、働き方はどうなのか❓️ 多様な人材を受け入れると言いながら、実際に求めているのは、現在の賃金と勤務条件でもシフトに入ってくれる人ではないのか❓️
参照:テレビ朝日「ファミリーマート 制服に新ルール 人材確保へ髪色も自由に」
本来は、日本の技能を持って帰ってもらう制度だった
外国人技能実習制度は、本来、日本で培われた技能・技術・知識を開発途上地域へ移転し、その国の経済発展を担う人材を育てるために作られた制度である。外国人技能実習機構の基本理念にも、国内の人手不足を補う安価な労働力の確保に使われないよう、技能実習は「労働力の需給の調整の手段として行われてはならない」と明記されている。
日本で流通や物流、製造、介護などを学び、自分の国へ帰る。現地企業の中核人材になる。あるいは自分で事業を始める。日本で身につけた知識を現地へ根づかせ、そこから再び日本の企業や地域とつながる。
人を介して技能と知識が循環し、日本と相手国の双方が豊かになる。技能実習という名前から素直に考えれば、そういう投資だったはずだ。
もっとも、現在コンビニや物流倉庫で働く外国人が、すべて技能実習生というわけではない。留学生の資格外活動、永住者や定住者、家族滞在、派遣会社を通じた就労など、立場はさまざまだ。立場が分かれるほど、彼らの数年間を誰が人材育成へ変えるのかも曖昧になる。
学校は学業が本分だと言える。勤務先はアルバイトを雇っているだけだと言える。人材会社は仕事を紹介しただけだと言える。制度ごとの責任範囲を一つずつ確認すれば、誰も間違ったことをしていない。
しかし、全体を見渡したとき、彼らの若い時間は確かに日本のコンビニや物流倉庫を動かすために使われている。

高度な物流の中で働くことと、高度な物流を学ぶことは違う
コンビニは、流通を学ぶには非常に面白い場所である。POSデータによる需要予測/発注と欠品率/在庫回転/廃棄ロス/温度帯別物流/共同配送/時間帯別の人員配置/商圏分析/本部と加盟店の利益配分。小さな店舗の背後で、巨大な情報と物流のシステムが動いている。
大型物流拠点も同じだ。幹線輸送と地域配送の接続/荷物量の予測/時間帯別処理能力/仕分け設備の設計/積載率/誤仕分け率/破損防止/繁忙期の人員計画/センター建設費と採算。世界有数の物流システムを、実物を見ながら学べる場所である。
では、そこで働く外国人の若者は、その仕組みを教わっているのか❓️
荷物のバーコードを読む。表示された行き先へ流す。コンベヤーへ載せる。決められた時間までに仕分ける。もし教わっているのがそこまでなら、身につくのは物流ではなく、その職場で決められた作業手順だ。
高度な物流システムの中で働いていることと、高度な物流を学んでいることは同じではない。
企業には処理量、誤仕分け率、需要予測などのデータが蓄積する。本部には物流網を設計し、改善する知識が残る。一方、現場作業を担当した若者には、荷物を素早く正確に仕分けた経験が残る。
会社には物流ノウハウが蓄積する。外国人スタッフには仕分け作業の経験だけが残る。この差は、帰国した瞬間に大きく表れる。

「人手不足」の前に省略されている条件
筆者在住の大阪市内には、ヤマト運輸の大阪ベースがある。大阪市住之江区にある大型物流拠点で、大阪主管支店と南大阪主管支店も同じ所在地に置かれている。
2026年8月時点の公式求人を見ると、大阪ベースの仕分け作業はアルバイト・パートで、勤務期間は2か月。仕事内容は荷物をコンベヤーへ流す/番号を見て方面別のレーンへ引き込む/ボックスへ積み込むというものだ。時給は1,177円から1,200円。大阪府の最低賃金は1,177円なので、募集賃金の下限は法律上支払える最低額と一致する。
ここで一つ、思考実験をしてみる。
時給を一気に2,000円へ上げても、日本人は集まらないのか❓️
午後10時以降は法定の深夜割増によって時給2,500円になる。その条件なら、日本人の学生、フリーター、求職中の人、昼間に別の仕事を持つ人も、今よりかなり応募するのではないか❓️
それでも人が集まらないなら、本当の人手不足かもしれない。しかし、賃金を上げれば人が集まるのであれば、不足しているのは人ではない。
時給1,177円で、深夜に、重い荷物を扱い、物流センターまで通ってくれる人が不足しているのだ。
「人手不足」という言葉から、賃金、時間帯、仕事の負担、通勤条件を取り除いてはいけない。正確には「現在の事業構造を維持できる人件費で働く人の不足」である。

企業が安い労働力を求めるのは、当たり前でもある
企業にとって、人を雇うことほど継続的に大きな費用を必要とするものはない。賃金だけでなく、社会保険、募集、教育、労務管理、欠勤への対応まで必要になる。同じ仕事を同じ品質で行えるなら、人件費を抑えようとするのは経営として自然な判断だ。
ヤマト運輸だけが仕分け作業の時給を2,000円へ上げれば、それで話が終わるわけでもない。増えた人件費は宅配料金に反映される。通販会社は配送費の上昇を嫌い、競合する物流会社との価格差が広がる。出店者の負担になり、最後には商品価格や送料として消費者へ戻ってくる。
消費者は安い送料と翌日配送を求める。EC事業者は配送単価を抑えたい。物流会社は全国ネットワークと締切時刻を維持したい。人材会社は、その条件でも働く人を探す。外国人の若者は、言葉や在留資格、働ける時間などの制約の中から仕事を選ぶ。
誰か一人が外国人の若者を搾取しようと考えなくても、全員が自分の立場で合理的に動いた結果、外国人の若者が最低賃金付近で日本の物流を支える均衡が成立する。
日本の便利な物流は、自動化された高度な設備と、機械化しきれない部分で身体を動かす大量の人によって成り立っている。設備部分だけを見れば最先端だ。人間部分を見ると最低賃金。その落差を、外国人の若さが埋めている。

人は足し算で増える。賃金のパイまで増えるのか❓️
以前、当研究所では、明治期の製糸工場で使われた等級賃金制を「野麦峠システム」と呼び、賃金と購買力の力学を考えた。
工場が支払う賃金総額を先に100と決め、その100を工女たちの成績に応じて分ける。誰かの取り分が増えても、賃金総額が100のままなら、増えた分は別の誰かの取り分から移動してきたことになる。この模型を現代経済へ広げ、社会全体が実際にモノやサービスを買える力を「購買力100」と置いた。
この模型を、外国人労働者へ反転させてみる。
外国人の若者は、労働者であると同時に、日本で暮らす消費者でもある。家賃を払い、食料を買い、通信費を払い、日本の消費に加わる。人数だけを数えれば、労働力が一人増え、購買力の担い手も一人増える。
しかし、その若者へ支払う賃金の原資まで、日本経済の外から一人分持ち込まれるわけではない。企業の売上や付加価値が変わらず、人件費総額も100のままなら、新しく加わった一人の賃金は、その100の中から支払われる。企業利益/他の労働者の賃金/取引先への支払い/商品価格/税による支援。どこかが動かなければ、新しい取り分は生まれない。
外国人の若者という「購買力の担い手」は足し算で増える。しかし、分ける賃金のパイは、同じ事業構造のままでは自動的に増えない。
新しい労働力によって生産量や売上、付加価値が増え、100だったパイそのものが110、120へ拡大するなら話は変わる。問題は、その増加分が若者の賃金や教育として本人へ戻るのか、安い商品や送料、企業利益、日本社会の便利さとして別の場所へ流れるのかである。
人数は増えた。労働力も増えた。消費者も増えた。では、その若者が帰国後に持って帰れる価値も、同じように増えているのか❓️
参照:力学観測研究所/最低賃金1108円、1500円、1700円――『あゝ野麦峠』から考える「購買力100」の力学

制度が現実から外れたのではない。制度の方が現実へ近づいた
技能実習制度には、技能を母国へ移転する国際貢献という目的があった。しかし、この制度は2027年4月1日から「育成就労制度」へ変わる。
新制度の目的は、日本の人手不足分野において3年間の就労を通じ、特定技能1号水準の人材を育成し、その人材を確保することだ。国際貢献のために一時的に人を受け入れる制度から、日本国内で働く人を育てて確保する制度へ変わる。
物流倉庫も育成就労と特定技能1号の対象である。国土交通省が示す主な業務は、貨物の受渡し・検品/移動/格納/ピッキング/流通加工など。物流ネットワークの設計、需要予測、センター収支、管理職教育、帰国後の起業支援ではない。現時点で物流倉庫分野に特定技能2号もない。
かつては、安価な労働力の確保に使ってはならないと書かれていた。これからは、人手不足分野の人材を確保することが制度の目的として正面から掲げられる。
現場が制度の建前から外れたのではない。最後には、制度の建前の方が現場へ寄ってきた。
参照:国土交通省「物流倉庫分野における特定技能外国人・育成就労外国人の受入れ」

賃金は一時間の労働を清算する。若い時間の将来価値までは清算しない
外国人の若者は、無償で働いているわけではない。労働の対価として賃金を受け取っている。本人が仕事を選び、日本で得た賃金を生活や学費、母国への送金に使うこともできる。
それでも、賃金を払ったという事実だけで、若い時間をめぐる問いがすべて清算されるわけではない。
時給は、目の前の一時間に行った作業へ支払われる。その一時間に別の教育を受け、資格を取り、人脈をつくり、将来の職業へ進む可能性があったことまでは計算しない。
若い時間には、その後の数十年にわたって知識や技能を増幅させる力がある。20代で得た技能は30代の仕事へつながり、30代の経験は40代の立場をつくる。若い時間は、後から同じ価格で買い戻せない資源だ。
日本が流通工学、物流管理、店舗経営、フランチャイズ制度まで教えていれば、その時間は本人の中に人的資本として残る。帰国後も使える資格や知識があれば、日本で働いた数年間は消費ではなく投資になる。
一方、職場を離れた瞬間に価値が薄れる作業手順しか残らないなら、日本には配送能力が残り、企業には売上が残り、消費者には届いた荷物が残るのに、本人には過ぎ去った時間だけが残る。
賃金は一時間の労働に支払われる。その一時間とともに失われた将来の選択肢には支払われない。

罪は流体のように流れ、最後には霧散する
ここでいう「罪」には、分かりやすい加害者がいない。
企業は、契約どおり賃金を払ったと言える。人材会社は、適法に仕事を紹介したと言える。学校は、認められた範囲でのアルバイトだと言える。政府は、在留資格と就労制度を整備したと言える。消費者は、提示された商品代金と送料を払ったと言える。外国人本人についても、自分で応募して働くことを選んだと言える。
一人ひとりを見れば、誰も若い時間を丸ごと奪っていない。企業が買うのは一回のシフト。人材会社がつなぐのは一件の求人。消費者が受け取るのは一個の荷物。それぞれの取引は、その場で清算されている。
しかし、それを数年間にわたって積み上げると、一人の若者の20代の一部が現れる。
その全体について問われると、責任は企業から人材会社へ、人材会社から制度へ、制度から本人の選択へ、本人の選択から消費者の需要へと流れていく。流体のように形を変え、境界を越え、最後には「本人が選び、賃金も受け取ったのだから問題はない」という霧になって消えていく。
責任は霧散しても、過ぎた時間は戻らない。
会社には物流ノウハウが残る。消費者には便利さが残る。日本社会には、人手不足の現場を数年間維持できたという結果が残る。

では、外国人の若者には何が残ったのか❓️
日本で働いたという記憶なのか❓️ 日本語なのか❓️ 貯金なのか❓️ それとも、自分の国へ帰ったときには使い道の限られる作業経験なのか❓️
誰も彼らの時間を奪おうとはしていない。そのまま誰も責任を引き受けず、時間だけが日本社会の便利さへ変換されていく。
罪は流体のように流れて霧散する。失われた若い時間だけが、本人の人生に固体として残る。
日本が輸入しているのは、本当に「外国人材」なのか❓️
外国の若者の未来から切り出された、安い数年間を輸入しているだけではないのか❓️
それは、相当に罪深い仕組みではないだろうか❓️

※本稿は、特定の企業・団体・個人、政府・自治体の個別政策を批判することを目的としたものではありません。企業、行政、人材会社、消費者、働く本人が、それぞれの立場で合理的に行動した結果として生じる構造を、制度・政策を含む一つの力学として観測したものです。
【2026年8月28日追記】
本稿公開と同日の8月27日、山口県はインドネシア労働省と、技能実習生の送り出し・受け入れを促進するための覚書を締結した。報道では、人口減少によって人材を必要とする山口県と、平均年齢約30歳の若い人口を抱えながら就職難が続くインドネシアが接続されている。日本語教育や人材育成も盛り込まれているが、その教育が誰の将来価値を増やすためのものかは、なお問われる。山口県の空席を埋めるための技能なのか❓️ 帰国後にも持ち運べるキャリアなのか❓️ 人口の減る地域が、人口の若い国から「若い時間」を借りる構図が、行政間の協定として姿を現し始めている。


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