新潟県の最低賃金をめぐって、ちょっと興味深いニュースがあった。
新潟地方最低賃金審議会は、現在1050円の最低賃金を58円引き上げ、1108円とするよう答申。これに対して労働組合の「えちごユニオン」と「レインボーユニオン」が異議を申し立て、1108円では生活が苦しいとして、1500円や1700円程度への引き上げを求めた。
その後、新潟労働局は8月21日、答申どおり1108円とすることを決定。10月1日から適用される。
おはこんばんにちは❗️力学観測研究所のRYOです❗️
1108円なのか、1500円なのか、1700円なのか❓
今回は「いくらが正しいのか」ではなく、この数字を動かしたとき、労働者、労働組合、雇用する企業、そして経済全体にどんな力が働くのかを観測してみます。
物価が上がった。では賃金も上げてほしい
労働者から見れば話は分かりやすい。食料品も電気代も日用品も値上がりする。同じ1000円を持っていても以前より買えるものが減れば、実質的な購買力は落ちる。
だったら賃金も上げてほしい。
労働組合が最低賃金の大幅な引き上げを求めるのも、その延長線上にある。レインボーユニオンは時給1700円への引き上げを求める一方、最低賃金の大幅引き上げが中小企業や小規模事業者の経営に影響することも踏まえ、助成金や社会保険料負担の軽減などの支援拡充も求めている。
そして賃金が上がれば、労働者の購買力が増える。消費が増える。企業の売上も増える。利益が増えれば、さらに賃金を上げられる。
賃金上昇→購買力上昇→消費増加→企業売上増加→利益増加→さらなる賃金上昇。
もし社会全体の生産性や付加価値まで増えているなら、これはきれいな循環になる。

ところが、物価が上がったからといって社会全体が同じだけ豊かになったとは限らない。
例えば、物価100→120/賃金100→120になったとする。給料は20%増えている。しかし物価も20%上がっていれば、買えるものが20%増えたわけではない。数字が大きくなっただけで、実質的な購買力はほぼ元の位置である。
需要が増え、経済全体が豊かになった結果として起きる物価上昇もあれば、原材料、エネルギー、輸入価格などの上昇によって、所得が追いつかないまま購買力を削られる物価上昇もある。
※なお、物価上昇と経済の停滞が同時に進む「スタグフレーション」という概念もあるが、これについてはまた別の機会に取り上げたい。
雇用する側から見ると話が変わる
企業にとって雇用は非常に大きなコストである。単純な時給だけではない。社会保険、採用、教育、管理、設備、休暇、労務対応など、人を一人雇えばその周囲にもさまざまな費用が発生する。
最低賃金が1108円から1500円になれば、時給だけなら約35%増える。
企業がそれを取り戻すには35%どころではない労力の対応が必要だ。
価格を上げる/利益を削る/営業を強化する/新規採用を控える/シフトを減らす/営業時間を短くする/セルフレジなどへ置き換える/業務そのものをやめる。
ここで面白い力学が現れる。
労働者から見れば「時給1500円」という数字は明るい。しかし企業側では、「だったら3人でやっていた仕事を2人でできないか」という方向にも力が働く。
最低賃金という太陽の日照りを強くすれば、労働者を照らす光は強くなる。その一方で、雇用コストというshadowも濃くなる。
作用・反作用というと少し物理学に怒られそうだが、反物質と呼ぶと会社ごと対消滅しそうなので、ここではshadowくらいにしておこう。
引き合いに出したい『あゝ野麦峠』
この最低賃金のニュースを読んでいて、映画『あゝ野麦峠』で知られる時代の製糸工場を思い出した。
当時の製糸業では「等級賃金制」という仕組みが広く使われた。工女たちは生産量や品質などの成績によって評価され、成績が良ければ高い賃金を受け取ることができた。
ここだけを見ると、現在の成果主義にも少し似ている。
ところが、この制度には強烈な仕掛けがあった。
製糸家はあらかじめ賃金支払総額を決めることができ、各工女の賃金は作業成績を比較したうえで事後的に決定された。つまり全体の賃金原資を先に決め、そのパイを成績に応じて配分する仕組みである。
ここでは分かりやすく「野麦峠システム」と呼びたい。
100人の工女がいて、工場が支払う賃金総額が100万円だったとする。平均すれば一人1万円。
ある工女が猛烈に頑張り、先月1万円だった給料が今月1万5000円になった。
本人から見れば50%の賃上げである。
しかし工場が支払う総額は100万円のまま。
では、増えた5000円はどこから来たのか❓️
ほかの工女の取り分である。
さらに全員の技術が向上して工場全体の生産能力が上がったとしても、賃金原資を100万円に固定する限り、全員の取り分が一緒に増えるわけではない。
賃金の支払い総合力「100」は変わらない。変わるのは、その100を誰にどれだけ配るかである。

野麦峠の「100」を日本全体まで広げてみる
現代の最低賃金制度では、もちろん企業の総人件費が法律によって固定されているわけではない。
ここで野麦峠システムを、そのまま現在へ当てはめるのではなく、スケールを一気に大きくして経済全体を見るための模型として使ってみる。
野麦峠では「工場が支払う賃金総額」を100とした。
現代では、社会全体がモノやサービスを実際に買える「実質的な購買力」を100と置いてみる。
100人で購買力100を持っている。
ここで最低賃金を大幅に上げたとする。
企業の生産性も上がる/付加価値も増える/社会全体の供給能力も上がる。その結果、購買力100そのものが120、130になれば話は簡単である。大きくなったパイから高い賃金を払えばいい。
しかし最低賃金という数字だけを上げても、購買力100が自動的に120になるわけではない。
パンが35%増えるわけでもない/住宅が35%増えるわけでもない/電気やガソリンや介護サービスが35%増えるわけでもない。
そこで企業が増えた人件費を吸収できなければ、別の場所が動く。
極端に単純化すれば、100人で購買力100を持っていたものが、70人で100を分ける形になることもある。
雇用され続けた70人だけを見れば、一人あたりの賃金は上がっている。しかし仕事を失った30人にとって、最低賃金が1500円なのか1700円なのかは意味を持たない。
逆に100人全員を雇い続け、その人件費を価格へ転嫁すれば、今度は消費者の支払いが増える。
物価が上がった→賃金を上げる→人件費が上がった→価格を上げる→価格が上がった→また賃金を上げてほしい。
こうなると、数字は動いているのに購買力100の周囲をぐるぐる回っているだけ、ということも起こり得る。
では、その392円はどこから来た❓️
1108円から1500円に最低賃金を引き上げると、その差は392円。
労働者の財布には392円多く入る。
では、その392円はどこから来たのだろう❓️
企業利益/商品の値上げによる消費者負担/同僚のシフト削減/将来採用されるはずだった人の雇用/設備投資の縮小/税金で支援するなら納税者/あるいは生産性向上によって新しく生み出された付加価値。
最後の「新しく生み出された付加価値」なら話は大きく変わる。
100だったパイそのものを110、120へ大きくできるからだ。
しかし100そのものが増えていないなら、一つの取り分を増やした力はどこかへ伝わる。
明治時代の野麦峠システムでは、それが非常に見えやすかった。一人の取り分を増やせば、同じ工場で働く別の工女の取り分が減る。
令和の経済ではスケールが巨大になり、その移動先も企業利益/商品価格/雇用人数/労働時間/税金/設備投資などに分散する。
だから見えにくい。
野麦峠では「賃金の支払い総合力100」だったものを、マクロでは「社会全体の実質的な購買力100」に置き換えて考えてみる。
時代も制度もスケールもまったく違う。
しかし「100そのものを大きくせず、取り分だけを変えたら何が起きるのか」という力学には、妙に似たところがある。

最低賃金という太陽とshadow
1108円/1500円/1700円。
数字は非常に分かりやすい。
しかし実際の経済では、労働者の生活費/組合が求める賃上げ/企業が負担する人件費/消費者が支払う価格/雇用人数/労働時間/生産性/為替/原材料/エネルギー価格など、たくさんの力が同時に働いている。
一つを動かせば、別の何かが動く。
最低賃金という日差しを強くすれば、明るくなる場所がある。同時に、その反対側にはshadowができる。
見るべきなのは太陽だけでもshadowだけでもない。
どこから力が加わったのか/どこへ伝わったのか/最後にどこへ逃げたのか/そして何より、購買力100そのものは大きくなったのか。
最低賃金が上がった。
その次に観測したいのはこちらになる。
その上がった賃金は、どこから来て誰の取り分が減らされた❓️

※上記、映画『あゝ野麦峠』の賃金システムの根拠資料と考えられる


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