なぜ神社で手を合わせるのか?

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おはこんばんにちは。力学観測研究所のRYOです。

皆さんは旅行先で⛩️神社⛩️を見かけると、立ち寄ることはありますか?

私は結構あります。

でも、不思議なことにお願いする内容は、昔からほとんど変わりません。

「どうか、このまま無事に家へ帰るまで見守ってください。」

こればかりです。

お金持ちになりたいとか、出世したいとか、そういうお願いはほとんどしたことがありません。※でも常に邪念と煩悩はある!

最近、神社について少し考えることがありました。

神社へ入ると、

「空気が違う。」

「厳かな感じがする。」

そう感じる人は多いと思います。

もちろん、木々に囲まれた静かな環境や、街の喧騒から少し離れた立地も影響しているのでしょう。

でも、それだけでは説明できない何かがあるように思います。

私は、その空気を作っているのは、

その神社を何百年も守り続けてきた人々の営み

なのではないかと思っています。

誰かが掃除をし、

誰かが祭りを続け、

誰かが手を合わせ、

誰かが大切な人を想い、

誰かが感謝し、

誰かが悲しみを祀ってきた。

その積み重ねが、その場所の空気を作っている。

そんな気がします。

だから私は、神社へ一礼することは、

神様だけに頭を下げているわけではないと思っています。

この土地を守ってきた人々。

この神社を受け継いできた人々。

何かを祀ろうとした人々。

その「祈る心」に対しても、一礼しているのではないでしょうか。

面白いのは、自分の地元の神社だけは少し感覚が違うことです。

子どもの頃、私は神社の境内で友達と遊び回っていました。

今思えば結構やんちゃでした。

それでも不思議と、

「神様に怒られる。」

という感覚はありませんでした。

むしろ、

「地元の神様が、これくらいで本気で怒るわけがない。」

そんな、子どもながらの安心感がありました。

もちろん、神社を壊したり汚したりするのは論外。

でも、境内で遊び、笑い、祭りを楽しむ。

そんな子どもたちも含めて、地域の神社は何百年も見守ってきたのでしょう。

一方、旅行先では少し違います。

そこは自分のホームではありません。

その土地には、その土地の歴史があり、

その土地の人々が守ってきた神社があります。

だから私は、

「ちょっと通りますよ。」

「無事に帰れるまで見守ってください。」

そんな気持ちで手を合わせています。

力学観測的に考えると、

神社とは「神様の場所」であると同時に、

人間が何かを大切にしてきた記憶が積み重なる場所

なのかもしれません。

だから神社へ入ると自然と静かになり、

一礼したくなる。

それは神様への敬意だけではなく、

その場所に何百年も積み重ねられてきた人々の営みや祈り、

そして、それを今日まで守り続けてきた人々への敬意でもある。

私はそんなふうに考えています。

もしそうだとすれば、

神社の厳かな空気というのは、

神様が作っているだけではなく、

人間が何世代にもわたって作り続けてきた空気

なのかもしれません。

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