外資の「クビ切り」は日本の司法と実は相性が良い❓️〜「今日からあなたは部外者です」の力学

日本では、会社は社員を簡単に解雇できない

これは(たぶん)正しい

しかし会社は、社員証を止め、社内システムへのアクセス権を奪い、「今日からあなたは部外者です」と先に宣言できる。その宣言が法的に正しかったかどうかを裁判所が判断するのは、ずっと後になる。

Google日本法人で10年以上勤務し、L3からL5へ昇格したソフトウェアエンジニアが、PIP(業務改善プログラム)の目標未達を理由に解雇された。原告側によると、解雇直前には「成長軌道に乗っている」などと評価されていた一方、PIPでは「L5レベルのリーダーシップを発揮すべき」といった抽象的な目標や、従来ほとんど担当していなかったバックエンド業務も課されたという。PIP開始と同じ日に退職パッケージも提示された。

原告は解雇無効などを求めて東京地裁へ提訴した。なお、記事掲載時点でGoogle側は取材に回答しておらず、現段階で表に出ているのは主として原告・労組側の主張である。

参照元:弁護士JPニュース

おはこんばんにちは❗️観測のRYOです❗️

この記事で観測したいのは、Googleが善か悪か、原告の能力が高いか低いかではない。

なぜ日本では解雇が難しいといわれるのに、外資系企業は先にクビを切れるのか❓️

その答えは、労働法より管理会計に近い場所にあるのかもしれない。

「役に立たない人は雇っていても仕方がない」

まず、企業が人を解雇したいと考えること自体は、必ずしも不合理ではない。

企業は人を雇うために存在する組織ではない。支払う賃金や管理費用に見合う働きが期待できなければ、雇い続ける経済的理由は薄くなる。能力が足りない人を抱えれば、給与だけでなく、周囲のフォロー/管理職の指導時間/プロジェクトの遅延/他の社員への業務集中/採用機会の喪失という費用も発生する。

年収1470万円のL5に対して、会社が「L5として期待する影響を生んでいない」と判断したなら、雇用を見直したいという論理には一応の筋が通る。

ただし、雇い続けたくないという判断の合理性と、実際に行った解雇の適法性・公正性は別の軸である。

L5として足りなくてもL4なら役立つかもしれない。別部署なら能力を発揮するかもしれない。そもそも「L5レベルのリーダーシップ」を誰が、何を基準に測るのかという問題も残る。

ここでいう「役に立たない」は、人間として価値がないという意味ではない。この会社の/この職位の/この時点の/この評価基準では、費用に見合わないという限定的な判定である。

ところが企業の内部では、その限定的な判定が、社員証/メール/社内システム/収入/人間関係の全切断へ変換される。

PIPは改善装置か、退出経路の振り分け装置か❓️

PIPは本来、成績や勤務状態に問題がある社員へ改善目標と期間を示し、必要な指導を行う制度である。※肩や首に貼るとラクになるアレではない

しかし、PIPを始める日と退職パッケージを提示する日が同じなら、別の見え方も生まれる。

まだ改善を始めていないのに、なぜ出口が用意されているのか❓️

企業の管理会計として見ると、PIPは社員を改善する装置であると同時に、退出費用を振り分ける装置にもなり得る。

合意退職する人には退職パッケージを払う/交渉する人には条件を上乗せする/訴訟を起こす人には法務部と弁護士が対応する。全員を円満に退出させる費用より、争った人だけ個別処理する費用の方が安ければ、企業全体では合理的になる。

もちろん、Googleが実際にこの計算をして本件を進めたと断定する材料はない。だが、そのように計算できてしまう構造は存在する。

訴訟は「失敗」ではなく予定原価になる

企業が強引な人員整理を行えば、一定割合の社員は退職条件に合意し、一定割合は転職し、ごく一部が訴訟まで進む。そのうち途中で和解する案件もあれば、会社が敗訴する案件もある。

企業から見れば、訴訟は必ずしも想定外の事故ではない。

提訴率 ×(平均和解・敗訴額+弁護士費用)が、全員へ最初から十分な補償を支払う費用より小さければ、都度対応する方が安い。

大手運送会社には、全車両へ高額な任意保険料を払い続けるより、事故時の賠償を自社資金で処理する「自家保険」という考え方がある。車両数が多く、十分な資金力があれば、一件の大きな事故も母数全体へ薄められる。

雇用でも同じ計算が成立するなら、企業は司法判断を無視しているのではない。

司法判断が発生する確率と費用に、あらかじめ値段を付けている

日本の司法は、外資のクビ切りを止めるのか❓️

日本の労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇を無効とする。

しかし、この条文は会社と社員の間に展開される防護壁ではない。会社が解雇通知を出すことも、社内システムへのアクセスを止めることも、物理的には阻止しない。

労働者は解雇された後、自分で弁護士や労組へ相談し、証拠を集め、仮処分や訴訟を検討しなければならない。裁判所が数年後に「解雇は無効だった」と判断しても、担当業務は他人へ移り、プロジェクトは終わり、上司や同僚も異動しているかもしれない。

法律上は社員だった。だが組織上は、とっくに部外者になっている。

ここに、外資式の即時切断と日本司法の意外な相性がある。

企業は現在を先に取得し、国家は数年後に過去の代金を計算する

法律が守るのは、あなたの「人生」ではない

会社員は心のどこかで、「法律があるから、会社は不当な解雇をできない」と考えている。

しかし現実の保護は少し違う。

法律が与えるのは、違法なことが起きない保証ではない。違法なことが起きた後、それを争う手段である。

裁判所が回復できるのは、労働契約上の地位/解雇期間中の賃金/証明できる経済的損害/法的に認められる範囲の慰謝料などである。

失われた時間/壊れた健康/中断したキャリア/家族の負担/職場の人間関係/「必要とされていない」と告げられた記憶までは、原状回復できない。

裁判所は「あなたの解雇は間違っていた」と証明できる。しかし国家は、「失った人生も元に戻しなさい」とは命じられない。

法に守られているという感覚の一部は、「違法なことは起きない」と「違法なことが起きた後に請求できる」を混同した錯覚なのかもしれない。

HP1000とHP1の公平な戦い

法律上、企業と労働者は対等な当事者として法廷に立つ。しかし損失を吸収できる余力は違う。

企業のHPが1000、労働者のHPが1だったとする。ここでいうHPは人間の価値ではなく、収入/資金/時間/法務体制/健康などの耐久余力である。

解雇によって労働者がHP1からHP0になり、数年後の判決で企業へ1のダメージを与えても、企業はHP999で営業を続ける。

裁判上の勝敗と、消耗戦としての勝敗は一致しない

しかも極論すれば、1000万円を請求して1万円だけ認められた場合でも、法律上は「一部認容」であり、原告側は責任が認められたとして勝訴を発表できる。会社側も、請求の大部分が退けられたとして勝利を発表できる。

同じ判決から、両者が勝利を発表できる。

「勝訴」という表示は、人生がどれだけ回復したかを示す数字ではない。裁判所は判決を出すが、人生の損益計算書は添付しない。

敗訴しても、企業にはデータが残る

企業は一件争うたびに、司法の実測値を得る。

どのPIP表現が否定されるか/どの程度の指導記録が必要か/何年かかるか/どの段階で和解するか/平均和解額はいくらか/どの証拠が会社に不利か/評判への影響にどこまで耐えられるか。

敗訴して金銭を失っても、その経験は人事部/法務部/顧問弁護士に司法耐久データとして蓄積される。初回訴訟は研究開発費となり、次回以降のPIP、証拠作成、退職条件、解雇時期の精度を上げる。

PIPで予荷重をかける。解雇で荷重を増やす。訴訟で、どこまで耐えるかを測る。和解した地点が破断点として記録される。

司法が企業を裁くたび、企業もまた司法を測定している

一方、労働者が解雇訴訟を経験するのは、通常は一生に一度あるかないかである。企業には百件目の試験でも、労働者には人生最初の本番になる。

会社にとってはトライ・アンド・エラーでも、労働者にとってはライフ・アンド・エラーである。

労組・派遣・有期雇用とは切り分ける

本稿が観測しているのは、外資系企業の日本法人に直接雇用された無期雇用労働者が、PIPを経て個別解雇される場面である。

派遣先による受け入れ終了は、派遣会社と労働者の雇用契約を直ちに終了させるものではない。有期雇用の雇止めも、契約期間満了と更新をめぐる別の構造を持つ。整理解雇も、能力不足を理由とする個別解雇とは判断枠組みが異なる。

労組は雇用形態ではなく、企業側のデータ優位へ対抗する集団的な交渉装置である。企業が複数案件から経験を蓄積するのに対し、労組は複数の労働者の証拠/判例/交渉結果を束ねる。

ただし、それらを同じ記事へ詰め込めば、今回の一対一の力学がぼやける。本稿では別の座標として切り分ける。

企業には合理性があり、労働者には人生がある

企業が役割を果たさない人を雇い続けたくないと考えるのは、資本主義としてもっともらしい。法務が訴訟確率と費用を計算するのも、企業活動として合理的である。裁判所も、法律上請求された範囲で判断するしかない。

誰もが担当業務を遂行している。

それでも、企業だけが一件の失敗を多数の雇用案件へ薄められる。労働者は一件の失敗を、自分の人生全体で引き受ける。

人を雑に扱うから非合理なのではない。人に生じる損失の多くを企業会計の外へ押し出せるため、合理的になってしまう。

日本の司法は、数年後に「あなたは部外者ではなかった」と判断できる。

しかし会社が告げたのは、法律上の身分ではない。

「今日から、あなたの席はここにはない」

その事実だけは、勝訴判決でも時間を巻き戻せない。

※本稿では話題の主体企業がGoogleなのにまたもや某ヤマト運輸様を連想させる話が出ていますが、それだけ社会のインフラを担う巨大企業。ということでお許しを。いつもお世話になっております🙇🏻※また、本件は係争中であり、現時点の情報が主として原告・労組側の主張に基づくことだけご留意願います。

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