※筆者は『アンパンマン』について表面的なことしか知りません。今回はその状態のまま観測します。
ある日、力学観測研究所に妙な相談が持ち込まれました。
相談者は、バイキンマンさんです。
バイキンマン「ここの記事を読んだ。ちょっと聞きたいことがある」
RYO「どうぞ」
バイキンマン「アンパンマンも結局、暴力で解決しているじゃないか」
RYO「その通り」
バイキンマン「……え?」

アンパンマンのアンパンチは私刑なのか
バイキンマン「俺が悪者なのは分かる。でもアンパンマンだって最後は殴るだろ」
RYO「君が殴られる」
バイキンマン「勝った方が秩序をつくるのか?」
RYO「そういうことになるわな」
バイキンマン「暴力で勝った方が正義なのか?」
RYO「……」

アンパンマンは警察官でも裁判官でもない。法に基づく公権力としてアンパンチしているわけでもない。形式だけを見れば、公権力による刑罰ではなく私人による実力行使です。
もちろん、誰かへの危害を止めるための実力行使まで「暴力だから悪」と単純には言えません。とはいえ「悪い奴なら殴ってよい」を個人の判断だけに任せれば、それはそれで現実世界では許されない。
では、アンパンマンの世界では誰が秩序を担保しているのか?
これは考えさせられる。
ところが、話を聞いているうちに別のところが気になる。

ところで、なぜアンパンマンを攻撃する?
RYO「で、アンパンマンの弱点は?」
バイキンマン「顔が濡れると力が出なくなる」
RYO「それなら勝てるのでは?」
バイキンマン「新しい顔に交換すると復活する」
RYO「誰が作る?」
バイキンマン「ジャムおじさん」
RYO「……君、なんでアンパンマン本人を攻撃してるの?」
バイキンマン「?」
筆者はアンパンマンをまともに観たことはない。しかし今の話を整理すると
顔が濡れる/能力低下/新しい顔を供給/戦闘復帰
という補給システムが構築されている。
戦争では、前線だけでなく食料/燃料/弾薬/部品/輸送/整備といった兵站が戦闘能力を支えています。
だとすれば、ジャムおじさんはパン屋のおじさんであると同時に、アンパンマン陣営の兵站中枢でもあります。

RYO「相手は頭部を無限にチェンジできる巨大な物量だ」
バイキンマン「……」
RYO「叩くべしはまずジャムおじさん。敵のロジスティクス、つまり兵站を潰すことが戦争の基本だ」
バイキンマン「でも、それをやると最終回になるやん」
RYO「……」
バイキンマン「?」
RYO「今、重要なこと言ったね」

バイキンマンは勝ってはいけない
アンパンマンを完全に倒せば、バイキンマンの勝利です。
しかしアンパンマンがいなくなれば、「アンパンマンと戦うバイキンマン」も存在理由を失います。
逆も同じです。バイキンマンがいるからアンパンマンはヒーローとして活躍できる。
二人は敵でありながら、互いの存在を必要としていることになります。
さらに外側には視聴者がいます。
対立する/物語になる/人が見る/人気が生まれる/関連する経済が動く
つまり、対立そのものがお金を生む。
これは「アンパンマン・エコシステム」と言えよう。

RYO「そうやね・・・」
バイキンマン「何が?」
RYO「君はアンパンマンに勝てないんじゃない」
バイキンマン「じゃあ何なんだよ」
RYO「勝ってはいけないシステムの中にいる」
バイキンマン「……」
RYO「完全勝利したら物語が終わる。君の仕事もなくなる」
バイキンマン「俺、負けることが仕事だったのか?」
RYO「勝たない程度に戦い続けることだ」
バイキンマン「そういうエコシステムに組み込まれているのか?」
RYO「対立の背景には、それが続くことで懐が暖かくなる者がいる。これが大人の世界だ」
バイキンマン「子供向けアニメだぞ」
観測結果
最初の相談は「なぜアンパンマンの暴力は正義なのか」でした。
ところが話を聞いていたら、ジャムおじさんという兵站が出てきて、そこから敵同士の存在依存、さらに対立そのものを商品化する経済システムまで出てきました。
相談者が「ここが問題だ」と思っている場所に、本当の問題があるとは限りません。
今回の提案は――
RYO「現状維持」
バイキンマン「結局、今まで通りじゃねーか!」
RYO「でも君が失業することになるんやで」
バイキンマン「……」
RYO「観測終了」

※筆者はアンパンマンについてほとんど知りません。



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