──住宅ローン神話の力学
おはこんばんにちは、力学観測研究所のRYOです。
最近、「円安」という言葉を聞かない日はほとんどありません。
ガソリンが高い/食料品が高い/電気代が高い
海外旅行は遠い存在になり、輸入に頼るさまざまな製品も値上がりしています。
一方で、日本銀行が利上げを検討するたびに、必ずと言っていいほど聞こえてくる声があります。
「住宅ローンが払えなくなる!」/「中小企業が倒産する!」/「だから日本は金利を上げられない!」
確かに、その心配には一理あります。
住宅ローンの返済負担は増るし、借入金に依存する企業ほど経営は苦しくなる。
だからといって、そこで議論を終えてしまってよいのでしょうか。
私は以前から、この議論には大きな違和感を抱いていました。
我々は毎日、食料/ガソリン/電気/ガス/衣類/家電/自動車/医薬品などを購入して暮らしています。
その多くは、海外から輸入されるエネルギー/原材料/部品/農産物の影響を受けています。
つまり、日本人の生活は住宅ローンだけで決まっているわけではありません。
円の価値が下がれば、住宅を持っている人も、持っていない人も、毎日の生活の中で少しずつ購買力を失っていきます。
にもかかわらず、日本では「金利を上げるかどうか」の議論になると、住宅ローンだけが強調され、それ以外の負担は脇役になってしまいます。
これは、本当に公平な議論なのか?
今回は、この違和感を出発点に、
- 円安と国民の購買力
- 住宅ローン神話はどのように生まれたのか
- 小林一三が残した本来の功績
- ゾンビ企業と低金利
- NISAと円安の意外な関係
を一本の線でつなぎながら、日本経済の「力学」を考えてみたいと思います。
金利で守るべきものは何か
日本で利上げの話題になると、多くの人が真っ先に思い浮かべるのが住宅ローン。
もちろん、それは決して軽い問題ではありません。
変動金利で住宅を購入した家庭にとって、金利上昇は毎月の返済額に直結します。思うに、
我々は毎月、住宅ローンだけを支払って生活しているのか?
日々の暮らしでは、
食料/ガソリン/電気/ガス/水道/衣類/家電/自動車/医薬品
など、さまざまな商品やサービスを購入しています。
そして、それらの多くは、
原油/天然ガス/穀物/鉱物資源/半導体/電子部品
など、海外から輸入される資源や製品の影響を受けています。

円安になれば輸入価格は上昇し、そのコストは企業を通じて我々の生活へ少しずつ転嫁されます。
つまり、円安の影響を受けるのは住宅ローン利用者だけではありません。
子育て世帯/一人暮らし/年金生活者/賃貸住宅に住む人
も、程度の差はあっても、誰もが日々の買い物を通じて影響を受けています。
力学で表すと、非常に単純です。

円安→輸入価格上昇→企業コスト増加→商品・サービス価格上昇
↓
国民の購買力低下💦
もちろん、現実の経済はここまで単純ではありません。
企業努力によるコスト吸収/価格転嫁のタイミング/賃金上昇/世界経済の動向
さまざまな要素が絡み合っています。
それでも、大きな流れとしては、この力学から逃れることはできません。
だからこそ私は、「金利を上げるべきか」「上げるべきではないか」という二択ではなく、
金利によって何を守ろうとしているのか
という視点で議論する必要があると考えています。
住宅ローンを守ることなのか?
企業の資金繰りを守ることなのか?
それとも、日本円そのものの購買力を守ることなのか。
議論の出発点は、そこから始めるべきではないだろうか?
持ち家は夢だった──そして神話になった
日本では、「いつかはマイホーム」という言葉を聞いて育った人も多いでしょう。
家を買う→庭付きの一戸建てに住む→家族を持つ→住宅ローンを完済する
こうした人生設計は、いつの間にか「普通の人生」として社会に定着してきました。
しかし、この考え方は日本の長い歴史を見れば、ごく新しいものです。
江戸時代の都市部では、多くの庶民が長屋や借家で暮らしていました。
住まいは「所有するもの」よりも、「利用するもの」という感覚が一般的だったのです。
その常識を大きく変えた人物の一人が、小林一三氏でした。
阪急電鉄を創業した小林一三氏は、
鉄道だけでは乗客は増えない
と考えました。そこで、

郊外に鉄道を敷く→住宅地を開発する→会社員でも買える価格で販売する→毎日鉄道を利用して通勤する→駅前に百貨店や娯楽施設を整備する
↓
街そのものの価値が上がる
という、日本初とも言える本格的な沿線開発を実現しました。
今では当たり前となった
「駅前の百貨店」「住宅街」「ベッドタウン」
という文化は、この発想の延長線上にあります。
つまり、小林一三氏が作ったのは、
住宅ローンの仕組みではありません。
暮らしそのものをデザインする都市モデルでした。
当時としては極めて合理的であり、日本の近代化に大きく貢献したことは間違いありません。
しかし、優れた仕組みほど、時代を超えると「神話」になります。

人口は増える→地価は上がる→終身雇用が続く→年功序列で給料も上がる
↓
退職金でローンを完済する
この前提がそろっていた時代には、35年ローンは十分に合理的な選択でした。
ところが現在は、
人口減少/働き方の多様化/地方の地価下落/建物の老朽化/管理費・修繕費の上昇
と、前提条件そのものが大きく変わっています。
それにもかかわらず、
「家賃はもったいない」「住宅ローンは良い借金」「家を持って一人前」
という価値観だけは、そのまま残りました。
つまり、
制度は時代に合わせて変わった。
価値観だけが昔のまま残った。
これこそが、私の考える「住宅ローン神話」です。
私は持ち家を否定したいわけではありません。
持ち家にも賃貸にも、それぞれ合理性があります。
本来、小林一三氏が社会へ与えたのは「選択肢」でした。
しかし現在は、その選択肢が、いつしか「正解」に変わってしまった。
家やマンションを買うことがステータス✨みたいな幻想だけが残った。
私は、この変化そのものが、日本経済を考える上で見落とされがちな力学だと考えています。
低金利は誰を生かしているのか──ゾンビ企業の力学
利上げに反対する理由として、住宅ローンと並んでよく挙げられるのが、中小企業の資金繰りです。
金利が上がれば、借入金の多い企業ほど返済負担が増えます。
利益の薄い企業では、わずかな金利上昇が経営を直撃することもあります。
そのため、
金利を上げれば中小企業が倒産する→雇用が失われる→地域経済が壊れる
という懸念が語られます。
もちろん、これは無視できない問題です。
しかし、ここでも一度立ち止まって考える必要がある。
すべての企業を存続させることが、本当に社会全体の利益になるのか?
倒産しないことと、健全であることは違う
売上が伸びない→利益が出ない→借金の返済が進まない→賃金を上げられない
↓
新しい設備投資もできない

それでも、低い金利と追加融資によって経営だけは続いている。
こうした企業は、一般に「ゾンビ企業」と呼ばれます。
もちろん、業績が一時的に悪化した企業まで、すべてゾンビ企業と呼ぶべきではないよ!
災害/感染症/原材料高/取引先の倒産など、外部要因によって一時的に苦しくなる企業もあります。
そのような企業を金融で支えることには、十分な意味があります。
問題は、一時的な支援が恒常的な延命へ変わることです。
低金利→返済負担を抑える→赤字でも事業を継続できる→追加融資で借金をつなぐ→設備・人材・資金が固定される
↓
経済全体の新陳代謝が鈍る

企業が倒産しないこと自体は、一見すると良いことに見えます。
しかし、その企業に、
成長する見込みがない/賃金を上げる余力がない/新しい技術へ投資できない/市場から求められる商品を作れない
という状態が続いているなら、その存続には別のコストが発生します。
守られているのは従業員なのか
ゾンビ企業を存続させる理由として、しばしば「雇用を守るため」と説明されます。
しかし、企業を守ることと、従業員を守ることは同じではありません。
低い賃金/昇給なし/教育投資なし/設備更新なし/将来性のない仕事
この状態に人を長期間とどめることが、本当に雇用を守ることなか?
本来守るべきものは、企業の法人格ではなく、そこで働く人の生活です。
企業を守る
のではなく、
失業給付を充実させる/職業訓練を行う/転職しやすい制度を作る/成長企業へ人材を移動させる
という支援も考えられます。
企業の延命に資金を使い続けるよりも、働く人が次の仕事へ移るために資金を使う方が、長期的には社会全体の生産性を高める可能性があります。
人も資金も動かなくなる
経済が成長するためには、人/資金/設備/技術が、より必要とされる場所へ移動する必要があります。
しかし、低金利による延命が続くと、その移動が止まります。

利益を生まない企業に融資が残る/銀行は新しい企業へ貸しにくくなる/従業員も古い産業に残る/成長企業は人材を確保できない/賃金も生産性も上がりにくくなる
つまり、ゾンビ企業の問題は、単に一社の経営状態が悪いという話ではありません。
その企業に残っている人材や資金が、ほかの場所へ移れないことが問題なのです。
低金利は痛みを消すが、原因は治さない
低金利には、経済の痛みを和らげる効果があります。
低金利には、住宅ローンの返済負担を抑える/企業の借入負担を抑える/倒産を減らす/失業を防ぐ、といった効果があります。
短期的には、どれも重要です。
しかし、痛みを和らげることと、病気を治すことは違います。
住宅価格の高さ/企業の収益力の低さ/賃金の停滞/産業構造の硬直化
こうした課題が残ったままでは、低金利を続けるほど経済は金利に依存していきます。
その結果、
「金利を上げられないから低金利を続ける」のではなく、
「低金利を続けた結果、ますます金利を上げられなくなる」
という逆転が起こります。
これもまた、日本経済を縛る一つの力学です。
必要なのは企業の保護ではなく、退出できる仕組み
企業には、始まりがあれば終わりもあります。
新しい企業が生まれる → 成長する → 成熟する → 競争力を失う → 市場から退出する
これは、本来の経済の新陳代謝です。
しかし、倒産を絶対悪としてしまうと、古い企業が残り、新しい企業が育ちにくくなります。
重要なのは、企業を延命することではありません。
倒産しても、
人/技術/設備/資金
が次の成長企業へ円滑に移る仕組みを整えることです。
守るべきなのは企業そのものではなく、社会全体の活力ではないでしょうか。
守るべきなのは企業ではなく、人と経済の新陳代謝である。
NISAは本当に日本を豊かにするのか
ここで視点を少し変えてみます。
近年、「貯蓄から投資へ」という言葉を耳にする機会が増えました。
NISAを活用して資産形成を始める。
これは個人の選択として、ごく自然なことです。
しかし、日本全体で考えたとき、一つ気になる点があります。
多くの人が購入している投資信託は、
米国株/全世界株/海外債券など、
日本以外へ投資する商品が中心です。
つまり、
円 → ドルなどの外貨 → 海外資産
という資金の流れが生まれます。
もちろん、個人としてリスク分散を図ることは合理的です。
私も、その考え方自体を否定するつもりはありません。
しかし、日本全体で見れば、
国内から海外へ資金が流れる力学
も同時に生まれます。
さらに、日本最大の機関投資家であるGPIFも、資産の約半分を海外株式・海外債券で運用しています。つまり、
個人も海外へ投資する → 年金も海外へ投資する → 日本円を外貨へ交換する需要が増える → 円安圧力の一因となる

もちろん、円相場は金利差/貿易収支/投資家心理/国際情勢など、多くの要因で決まります。
海外投資だけで円安になるわけではありません。
しかし、
国全体で海外資産への投資を推進しながら、円安だけを問題視する。
この構図には、少し不思議さを感じます。
ここで重要なのは、
個人の投資行動
ではなく、
政策全体として整合性が取れているのか
という視点です。
円の価値を守りたいのか?
海外資産への投資を増やしたいのか?
もちろん、両立できる場面もあります。
しかし、そのバランスについては、もう少し議論があってもよいのではないでしょうか。
まあ、目を背けている気がするよね!
金利で守るべきものは何か
ここまで見てきた話を、一度つなげてみよう。
低金利 → 住宅ローンの返済負担を抑える → 採算の低い企業も延命しやすくなる → 人/設備/資金が古い産業に残る → 賃金と生産性が上がりにくくなる
さらに、
国内で魅力的な投資先が育ちにくい → 個人も年金も海外へ投資する → 円売り・外貨買いが増える → 円安圧力の一因となる
そして円安が進めば、

輸入価格上昇 → 企業コスト増加 → 商品・サービス価格上昇 → 国民の購買力低下
という流れが生まれます。
低金利は、住宅ローンの返済額/企業の借入負担/倒産/失業といった目の前の痛みを抑えます。
しかし、その状態を長く続けるほど、
住宅価格は下がらない/企業の新陳代謝は進まない/賃金は上がらない/円の価値は下がりやすくなる
という別の負担が積み重なります。
つまり、低金利は誰も傷つけない政策ではありません。
借金をしている人を守る一方で、円で給料や預金を持つ人の購買力を削る政策でもあります。
もちろん、急激な利上げを行えば、住宅ローン利用者/中小企業/金融機関に大きな負担が生じます。
だから必要なのは、
低金利を永遠に続けることでも、急激に金利を上げることでもありません。
住宅ローン利用者への支援/企業の円滑な退出/従業員の再就職支援/成長産業への資金移動
こうした仕組みを整えながら、少しずつ金利を正常化していくことです。
守るべきなのは、
住宅価格/企業の看板/低い返済額ではなく人の生活/働く場所/技術/円の購買力です。
金利を上げるべきか、上げないべきか。
その二択だけでは、本質は見えてきません。
問うべきなのは、
金利で、誰の何を守るのか?
ということ。
まとめ
本記事では、
住宅ローン/低金利/企業の新陳代謝/海外投資/円安/購買力
という、一見すると別々の話題を一つの流れとして見てきました。
もちろん、日本経済はこれだけで説明できるほど単純ではありません。
しかし、一つひとつの政策や制度は、それぞれが影響し合い、一つの「力学」を生み出しています。
だからこそ、
金利を上げるべきか、上げないべきか。
その二択だけでは、本質は見えてきません。
本当に考えるべきなのは、
金利で、誰の何を守るのか?
その視点を持つことが、日本経済を考える第一歩ではないでしょうか。


参考資料・参考統計
内閣府「国民経済計算(GDP統計)」
※本記事は各種公表資料・統計データを参考に、筆者独自の分析・考察を加えたものです。因果関係については複数の見方が存在するため、「一つの視点」としてお読みください。




